2014年御翼7月号その3

1%でもひらめきがなければ―トーマス・エジソン

 「天才とは1%のひらめきと99%の努力のたまものである」。電灯や蓄音機をはじめ、その発明だけで、世界のGNP16%を占めるという発明王トーマス・エジソンを語る際に必ず引き合いに出される言葉である。しかし、エジソンが意図していたのは、「才能よりも努力が大切」なのではなく、「1%のひらめきがなければ(最初のひらめきが良くなければ)、99%の努力も無駄になる」ということだったという。エジソンは当時の日記に、「努力よりも1%のひらめきが大事なのだが、皆このことがわからないようだ」と書き、「たとえ1%でも、ハイヤー・パワーの知性の存在を確認できれば、努力も実を結ぶ」と言っている。
 エジソンについてあまり知られていないことは、十二歳で耳が不自由になったことである。列車に乗り遅れそうになったとき、貨物列車の機関員が耳をつかんで少年エジソンを引き上げた。その瞬間、耳の奥で痛みが走り、その後、徐々に聴力が衰え、時折、二、三の言葉が聞こえる程度になった。蓄音機は本体を歯で噛んで音を聞きながら発明したという。また晩年、彼の枕元には日本の歴史や新渡戸稲造の『武士道』など、日本に関する本が何冊も置かれ、熱心な書き込が残されていた。そして生前、渋沢栄一や野口英世、真珠の御木本(みきもと)幸(こう)吉(きち)など多くの日本人と交流があったことである。エジソンの研究所には、日本から来た青年・岡部芳郎がいた。エジソンは彼の正直と真面目さが気に入ったのだという。
 エジソンはゴルフが嫌いで、スポーツには全く関心がなく、ブリッジなどのトランプも興味がなかった。彼がくつろぐのは、庭を静かに散策したり、妻マイナが奏でるピアノを聴くことであった。讃美歌やクリスマス・ソングが大好きで一緒によく歌った。作曲家では、ベートーヴェン、ヴェルディ、ヨハン・シュトラウスを最も好み、ショパンやモーツァルトはあまり好きではなかったようである。エジソンもバイオリンを上手に弾きこなしたが、忙しい時は、夫人と一緒にグランドピアノに向かって静かに腰掛けてくつろぐ方を好んだ。
 教会活動に熱心だった妻マイナからは日曜ごとに礼拝に出席するよう勧められていたが、耳が聞こえないことを理由に断り続けた。それでも、発明が完成するよう神様にお祈りしてきてくれ、とよく妻に頼んでいたという。彼は本心から、宗教家や教会はもっと合理的で理性的に物を見る目を養う必要があると感じていた。聖書の中の説法のための逸話を教えるだけでは、本当の宇宙の真理に目をつぶることにもなり、無責任であると批判のメッセージを送り続けた。
 エジソンの最初の妻は若くして病死しているが、彼女との間の長男は悪い仲間にそそのかされ、「トーマス・エジソン二世電気会社」をでっち上げ、「人の考えていることを写真に撮れる機械」を売り出す。実体のない会社はたちまち倒産した。詐欺罪で訴えられ、資産凍結の目にもあう。次男も父に金をねだって事業を興そうとするが、兄と同じでことごとく失敗し、結局、田舎の農夫になる。
 先妻の子どもたちの不幸な運命を見ているマイナは考えを改め、自分の子どもたちにはキリスト教的な教育を施そうと努める。息子はMITを卒業し、父の会社の副社長に就任、引退後は社長となっている。やはり教会に通い、次の世代に正しい信仰を伝えることは大切なのだ。
 エジソンの主治医であったハウ博士によると、エジソンは死の二、三日前から、自宅の椅子に腰掛けてウトウトと楽しい夢を見ているようだった。そして、突然目を開けて、満面の笑みを浮かべ、こう言った。「あちらはとても美しいですよ」と。エジソンは生前、あらゆる宗教の本を読破し、特定の宗教に帰依することはなかった。しかし、特に蓄音機の発明以降、自分を通じて何か(誰か)が次々と新しい発明をさせているという思いが強くなった、と述べている。
 そんなエジソンが聖書に関して、以下のような言葉を残している。「聖書は単なる本にすぎないが、神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、キリストの十字架で合流している。聖書だけが、私たちに救い主を示してくれる。そのことによって聖書は、私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉となるのだ。 あなたは誘惑にあい、疑惑と敗北と弱さに満ちたご自分の生活に倦(う)み疲れてはいないか。また、不安や心配にあきあきしてはいないか。スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい」と。

バックナンバーはこちら 御翼一覧  HOME